タレントの小島瑠璃子さん(31)が2025年10月12日、夫の急逝について初めて公の場で語り、「何もかもが変わった」と心境を吐露しました。 2025年2月に29歳で亡くなった夫・北村功太さんとの結婚生活や、現在1歳の子どもを支えながら芸能界復帰を決意するまでの軌跡が注目を集めています。
北村功太の株式会社Habitat創業秘話
北村功太さんは2020年10月にHabitat株式会社を創業。 それ以前はデジタルマーケティングの世界で数十億円規模の予算を扱う責任あるポジションにいました。しかし、広告配信の数字は見えても「実際にそれがどう使われているのか、役立っているのかが分からない」という課題を感じ、ユーザーと直接コミュニケーションが取れるオフライン領域への転身を決意しました。
起業への道のりは計画的というより自然な流れでした。学生時代の個人事業や株式会社バベルの共同創業経験を持つ北村さんにとって、起業は「複数人で一緒に事業をすることで、一人では到底できないことが達成できる」楽しさとやりがいを追求した結果でした。温浴施設のDXという事業アイデアは、「オフラインの領域で大きな市場」と「社会で話題となっている分野」という2つの観点から生まれ、特にサウナが「ととのう」という言葉とともに社会現象となっていた時流を捉えました。この明確なビジョンと市場の可能性が投資家に評価され、創業からわずか1年で資金調達を実現しました。
青山学院大学卒業後の起業家人生
青山学院大学での学生生活は、ラクロス部での活動とビジネス界への早期参入が特徴的でした。 在学中の2015年9月、レシピ動画メディア「DELISH KITCHEN」を手掛ける株式会社エブリーにインターンとして入社し、デジタルマーケティングのプロモーションやオペレーションを担当。この経験が彼の起業家精神の土台となり、メディア運営や広告ビジネスについての実践的な知識を深めました。
卒業後の2017年8月、動画メディア事業と広告代理事業を展開する株式会社バベルを共同創業し、COO(最高執行責任者)として全事業を管掌しました。当時のインタビューでは「大げさだけど、電通博報堂のような動画に特化したグローバルな代理店になりたい」と野心的な目標を語り、中国の動画マーケットへの進出を目指した動画コンサルティング事業も展開。その後2020年には株式会社GOに新規事業責任者として入社し、次世代データマーケティング研究会の立ち上げにも関わるなど、常に新しい事業領域への挑戦を続けていました。
人間国宝の祖父と伝統芸能家系
北村功太さんは、安土桃山時代から続く能楽囃子の名門・北村家の血筋を引く人物。 祖父は能楽囃子小鼓方大倉流で人間国宝に認定された北村治(きたむら おさむ)さんでした。治さんは名人と謳われた父・北村一郎から大倉流小鼓を学び、2003年に人間国宝に選ばれましたが、2012年に75歳で逝去しています。
しかし功太さんにとって、この由緒ある家柄は必ずしも誇らしいものではありませんでした。2023年5月の文春記事では、北村さんを知る人物が「伝統芸能に携わる由緒ある家柄で、家を出たかった思いもあるようですね」と証言。伝統の重みから離れ、自らの力で新しい時代を切り開こうとした彼の姿勢が印象的です。小島瑠璃子さんとの結婚を機に小島姓への婿入りを選んだ背景にも、その想いが感じられます。
母として再出発の決意
夫の突然の死から8ヶ月後、小島瑠璃子さんは千葉の実家で両親と祖母のサポートを受けながら1歳の息子を育てています。 復帰を決意したきっかけは、夫の知人から言われた「小島さんが輝かないと、子供も輝けないよ」という言葉でした。それまで「私の人生はもう正直、どうでもいい」と感じていた彼女でしたが、「子供の人生だけは明るく、陰がない輝かしいものになってほしい」という母としての願いが、奈落の底から立ち上がる原動力となりました。
トレードマークだった黒髪を大胆な金髪に変えたのは、新しい自分として生きる決意の象徴。 夫の会社Habitatの3億円の負債を背負い、2025年4月に代表に就任したと報じられていますが、その後、事業整理や清算の方向で進められているとも伝えられています。復帰発表時には「無理してしゃべってる」との声も上がりましたが、絶望の淵から子どものために再び歩み始めた彼女の姿勢は、多くの人に勇気を与えています。
個人事務所の設立
2025年10月13日、小島瑠璃子さんは自身のSNSで新たに「株式会社USAGI」を設立したことを正式発表しました。 Instagramに投稿された写真では、Vサインをしながら新会社のロゴマークを披露し、「個人事務所を設立しました!」と報告。新たなスタートへの意気込みを感じさせる明るい表情が印象的でした。
ロゴは「うさぎを上から見た形」と「気づきを象徴する ‘!!’」を組み合わせたデザインで、「ピンときて、ぴょん!と動く。気づきや人とのつながりを大切に。」という思いが込められています。夫を失った悲しみを乗り越え、新たな人生を歩む決意と感謝の気持ちを表す力強いメッセージとなりました。
また、2024年には美容関連会社「Kinacoco」を別途立ち上げており、経営者としても活動の幅を広げています。
まとめ
北村功太さんの生涯は、伝統と革新の狭間で自分らしい道を模索し続けた起業家の物語として集約されます。 名門能楽家系の生まれでありながら、その重みから解放されたいという想いを胸に、デジタルマーケティングの世界で才能を開花させました。青山学院大学時代のエブリーでのインターン経験から始まり、株式会社バベルの共同創業、そしてHabitat株式会社の設立まで、常に新しい事業領域への挑戦を続けました。
29歳という若さでこの世を去った功太さんですが、小島瑠璃子さんとの愛の物語と1歳の子どもという形で、その遺志は今も受け継がれています。 温浴施設のDXという革新的なビジネスアイデアと、伝統芸能の家系から現代ビジネスへの転身という変革は、時代に適応しながらも信念を貫いた生き方として、多くの人々の記憶に刻まれています。