特徴的な声との出会い
大山のぶ代さんは、1933年10月16日に東京都で生まれました。幼少期から特徴的な声を持っていた大山さんですが、当初はそれを意識していませんでした。中学生になって初めて、同級生から「お前の声はおかしい」と指摘され、自分の声の特徴に気づいたのです。
この発見は、大山さんにとって大きな転機となりました。多くの人なら、こうした指摘にコンプレックスを抱いてしまうかもしれません。しかし、大山さんは母親の賢明なアドバイスによって、この特徴を強みに変える道を選びました。
母親の励ましと部活動での経験
大山さんの母親は、娘に対して「声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう。声を出すような部活動をしなさい」と助言しました。この言葉に導かれ、大山さんは中学校で放送研究会、高校では演劇部に所属することを決意したのです。
部活動での経験は、大山さんに大きな変化をもたらしました。毎日のように校内放送で話すうちに、周囲からのからかいも次第に減っていきました。そして何より、大山さん自身が自分の声を受け入れ、「この声でいいんだ」と思えるようになったのです。
高校時代の悲しみと決意
大山さんの人生に大きな影響を与えたのは、高校2年生の時に経験した母親の死でした。42歳という若さでの母の死は、大山さんに大きな衝撃を与えました。しかし、この悲しい出来事が、逆説的に大山さんの人生の方向性を決定づけることになったのです。
母の死をきっかけに、大山さんは「手に職をつけなければ」と考えるようになりました。そして、自分に何ができるかを真剣に考えた結果、役者という道を選ぶことを決意したのです。
俳優座養成所での学び
高校卒業後、大山さんは俳優座養成所に第7期生として入所しました。ここでの学びは、大山さんの芸術家としての基礎を築きました。同期には、後に日本を代表する俳優となる水野久美さんや田中邦衛さんらがいました。
養成所での生活は決して楽ではありませんでした。当時の俳優座養成所は3年間のプログラムで、入所時には50人いた同期生が徐々に減っていくという厳しい環境でした。しかし、大山さんは必死で学びに食らいつき、この難関を乗り越えていきました。
声優としてのキャリアの始まり
大山さんの声優としてのキャリアは、1957年9月に放送された「名犬ラッシー」の吹き替えでスタートしました。しかし、それ以前の1956年にNHKドラマ「この瞳」で女優としてデビューしていたことは、あまり知られていません。
声優としての仕事が増えていったきっかけは、「あなたの声は少年の役に向いている」という周囲の評価でした。その後、人形劇『ブーフーウー』のブー役を担当したことで、声の仕事が急増していったのです。
ドラえもんとの運命的な出会い
大山さんのキャリアの中で最も印象的なのは、言うまでもなくドラえもん役でしょう。1979年から2005年まで、実に26年間もの長きにわたってドラえもんの声を演じ続けました。
大山さんがドラえもんに出会ったのは、声の仕事をしばらくお休みしていた時期でした。オファーを受けてコミックスを読んだ大山さんは、「これは大人が読んでも面白いSFだ」と感じ、すぐに引き受けることを決心しました。
大山のぶ代さんの声優としての特徴
大山さんの声優としての特徴は、そのハスキーな声と独特の節回しにあります。特に「ウヒヒ」とも「ウフフ」ともつかない独特の笑い声は、多くの視聴者の心に深く刻まれました。
また、大山さんは少年役を多く演じることでも知られています。やんちゃな喋り方や「べらんめえ口調」を多用するのも、大山さんの特徴的な演技スタイルでした。
声優以外の活動
大山さんの活躍は声優の仕事だけにとどまりません。タレント活動や料理研究家としても幅広く活動し、多くの著書を出版しています。特に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(1981年、主婦の友社)は、136万部のミリオンセラーを記録しました。
また、1980年には大山さんが歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞しています。
大山のぶ代さんの声優としての哲学
大山さんの座右の銘は「私はパイプになりたい」です。これは、言い伝えや諺など、先人たちから受け継いだ良いものたちを次の世代に渡していく役割になりたいという思いを表しています。
大山さんの声優としての秘訣は、キャラクターへの深い理解と愛情、そして常に新しいことに挑戦する姿勢にあったと言えるでしょう。26年間もの間、同じキャラクターを演じ続けながらも、常に新鮮さを失わなかった大山さんの姿勢は、多くの後輩声優たちの模範となっています。
大山のぶ代さんの遺産
2023年9月29日、大山のぶ代さんは90歳で永眠されました。しかし、彼女が日本のアニメ文化に残した偉大な功績は、これからも長く記憶され続けることでしょう。
大山さんの声は、何世代にもわたって日本人の心に刻まれ、「ドラえもん」「サザエさん」をはじめとする数々の名作アニメに命を吹き込みました。彼女の声優としての生涯は、単なる職業を超えた芸術であり、文化そのものだったと言えるでしょう。
大山のぶ代さんの軌跡は、コンプレックスを乗り越え、独自の個性を武器に国民的アイコンへと成長した、まさに日本のアニメ史に刻まれる壮大な物語と言えるでしょう。